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父の再生。光の先にあるもの(10-3)
- fairfax3939
- 2017年1月11日
- 読了時間: 2分

わが家は高台の住宅地にあり、平らなところはほとんどありません。
初めて父に外を歩かせるとき、母はどんな気持ちだったんだろう。
父はどうだったのだろう、と思うのです。
だめだ!とわかっても、病院のように回りに人がいるわけではなく、途中にベンチがあるわけでもない。立往生したら、どうするつもりだったのだろう。
父は麻痺した右足自体が動くわけではなく、股関節を使って足を前に振り出すのです。リハビリの先生が感心するほど、微妙なバランスで歩行を可能にしていました。なので、一旦、バランスを崩すと持ち直すことが難しく、父の全体重が降りかかってきます。
転んだら…。
それでも、「外に出てみよう!きっといける!」と思った母の見極めの根拠はどこにあったんだろう。そして、覚悟を決めて
「やってみよう!」
と思った二人を、私はやはり、「恐るべし…」と思うのです。
「やってみよう!」と思った時、どんなにワクワクしたんだろう。
結果、信じられないことができちゃった時、二人はどんなに興奮したんだろう。
嬉しかっただろうなぁ。もう嬉しくて、嬉しくて、「はいよ!!」の声が裏返っちゃっただろうな。
得意満面の二人の顔が目に浮かんで、笑ってしまいます。
きっと、かつての平穏な暮らしの中にはなかった一体感だったのではないかしら。
二人は暑くても寒くても外を歩きました。朝夕出ることもありました。
汗を地面に滴らせながら歩く姿をみたら、私も頑張らないわけにはいかない、と母は言いました。この時につけた体力が、その後の父の長い自宅生活を支えました。
(続く)