

22年の在宅介護生活を終えて(55-2)
2002年、母が亡くなった時、私は悲嘆にくれ、後悔に苛まれました。父の時にまた同じような思いをしたら、一体どうなるのだろうと恐ろしかった。でも、私は今、こうしてこのブログを書いています。それは、たぶん、父も母も不運ではあったけれど、不幸ではなかったと思えたからだと思います。...


22年の在宅介護生活を終えて(55-1)
2016年3月、四十九日に納骨を済ませました。そのあとしばらくして一人お墓参りに行きました。手を合わせた時、母が笑っていると感じました。得意げな顔でした。 父の80歳の誕生日の前日、2013年2月3日、傘寿の記念に写真館で写真を撮りました。父が傘寿を笑って祝えるなんて、夢に...


最後の「お帰り!待ってた」(54-11)
2016年1月24日、妹を残して皆帰り、静かになりました。私がお風呂に入っていると妹が呼びにきました。父の呼吸が浅くなってきました。父の様子がどう変化していくかは訪問看護師さんから聞いていました。いつ、どの時点で看護師さんに連絡をするかもいただいた冊子にありました。旅立ちが...


最後の「お帰り!待ってた」(54-10)
家に帰った翌日には、父の兄と姪が大阪から駆け付けました。私は、父が伯父に会えるまで、点滴だけは処置してもらいました。点滴をすることで、逆に苦しい状態が長くなる可能性もありました。それでも、意識があるうちに「お兄ちゃん」に会わせたかった。叔父は大阪弁で父の名前を呼んで、「よう...


最後の「お帰り!待ってた」(54-9)
2016年1月22日、父は家に帰りました。 「お父さん、お帰り!よく帰ってきたね」 日常は、たくさんの「行ってらっしゃい」と「お帰り」の繰り返し。父には長い人生の最後の「お帰り!」になりました。でも、それが言えたことは、22年間父が家で暮らすことができたことを含め、奇跡のよ...


最後の「お帰り!待ってた」(54-8)
2016年1月、父が最期を家で迎えるための準備をして、病室に迎えに行きました。「さぁ、お父さん!帰るよ」と声をかけると、苦しそうな表情だった父が、一瞬笑顔を見せました。そして、いきなり点滴の管を引き抜いたのです。「わかった、わかった、帰るから。慌てないで。看護師さんが来るま...


最後の「お帰り!待ってた」(54-7)
父は何度も病院のお世話になったけれど、それはケガや病気を治して、また家での暮らしに戻るために必要だったから。それができないのなら病院にいる意味がない。 家で私が看取る。そう決めました。 そして、そのための準備をしなければと思った矢先、父が再度、緊急搬送されます。父の血中酸素...


最後の「お帰り!待ってた」(54-6)
父の最期を託されました。一つ確かだったことは、父にこれ以上、「頑張って」とは言えない。ただそれだけでした。 自分が選択するだろう道は見えてはいたけれど、即座にそれを実行することはためらわれました。その時に相談したのが、妹の友人のお母さんで長く看護師をされていたAさんです。A...


最後の「お帰り!待ってた」(54-5)
2015年暮れ、在宅介護が厳しい状況になってきました。それならば、次の段階を考えよう。父が80歳を超えたあたりから、体力の低下を感じていたし、そろそろ施設入居のことも考えておこうと思っていました。でも、それは父の体力にあった環境で最晩年を平穏に暮らすためです。...


最後の「お帰り!待ってた」(54-4)
1994年に脳塞栓で倒れた直後の父は人格さえ無くしたようにみえました。しかし、その後長い時間をかけて、おそらくほとんどのことを認知できるようになっていたと思います。意志も明確でしたが、失語症によりそれを言葉で伝えられない、言葉に代わる手段もありませんでした。その父が、父らし...