

方向転換(27-1)
父が脳塞栓で倒れたあと、私はフルタイムで14年間働きました。 最初の8年間は、母が主介護者で私はその補助、そして妹の家族4人でした。 ところが、ある日突然、一人欠場に伴う選手交代。私に主介護者の役が回ってきて、家族は三人になりました。バタバタでしたが、それでも、妹がいること...


叔父
昨日、叔父の訃報を受けました。 父は男ばかり四人兄弟の三番目。 七つ年下の末っ子を父はどう思っていたのでしょう。 箱根駅伝も学生ラグビーも応援するのはえんじのジャージ。 叔父の母校、早稲田だったことを思えば、きっと自慢の弟だったはず。...


介護事業所を比較する(26-4)
そして何より、私をあれほど追いつめた父の介護サービスの継続問題は、ケアマネージャーを別の事業所に替えて以降、問題として取り上げられることはありませんでした。デイサービスもヘルパー支援も継続したにも関わらず…。なぜでしょう。...


介護事業所を比較する(26-3)
ヘルパー支援を二つの事業所から受けることにより、いろいろことが見えてきました。驚いたのは、全く同じ支援内容でも事業所の規模や介護福祉士の数等により料金が違うこともあるということでした。 また、キャンセル料も違いました。サービス内容によりキャンセル料が利用料より高くなることも...


介護事業所を比較する(26-2)
ケアマネージャーから介護サービスを中止すると言われ、誰に相談もできないまま、自分なりに考えて動きました。 デイサービスを他の事業所に変更することは、父にとって負担が大きいと思いました。それまでのデイサービスが父にとって過ごしやすい所なのかどうか、失語症の父の口から聞くことは...


介護事業所を比較する(26-1)
少し、話を前に戻します。 母が亡くなり、私が父の介護者になって4年目の秋、ケアマネージャーからサービスの停止を言い渡されました。 しかし、実際問題、父を一人家において仕事にはいけません。仕事を辞めるにも、今日、明日というわけにはいきません。公的な介護サービスを受けられない、...


Tさんの仕事(25-3)
また、思いがけない再会もありました。父の最後の入院中、病院の廊下で呼び止められました。14年前、私が介護者になって初めて関わったケアマネージャーのSさんでした。 彼女はコミュニケーションが難しい父のために、自作のノートを作ってくれました。...


Tさんの仕事(25-2)
父の命の火があと少しで消えるとわかって、私が父を家に連れて帰ると言った時、Tさんは立場上、もちろん何もコメントしなかったけれど、私には彼女がそれがいいと言ってくれている気がしました。 父と私の暮らしをずっとみてきて、最後、そうすることが私らしいとわかってくれていたと思います...


Tさんの仕事(25-1)
ケアマネージャーとの関係が悪化して、途方にくれる私を見かねて、新しい介護事業所から派遣されたヘルパーさんがケアマネージャーを替える手助けをしてくれました。そのケアマネージャー、Tさんにその後父が亡くなるまで8年余り担当していただきました。...


夜の外ごはん
父といるときは、夜出かけることはほとんどなく、友人との食事はもっぱらランチ。だから、お酒はなしだったのでした。 今、夜も出かけられるようになって、ちょっと楽しい。うそ、すごく楽しい! 煙が目に染みるような焼き肉屋さんとか、居酒屋さんで焼き鳥とか、ラクレットチーズとスペインワ...